文章と写真で構成された媒体が好き。動的コンテンツと静的コンテンツの話

文章と写真で構成された媒体が好き。動的コンテンツと静的コンテンツの話

YouTubeやTikTokなど、今や動画コンテンツ戦国時代とも言える状況である。

ぼくもYouTubeは好きで見るけど、何だかんだ言ってもやっぱり文章と写真で作られた媒体が好きだ。

中学生ぐらいの頃はコンビニで雑誌を何時間も立ち読みしていたりしたこともあった。(お店の方、すみません。)

今では雑誌は時々買って読むぐらいで、もっぱら「ブログ」を読み漁っている。

ぼく自身、かれこれ5年近くブログ運営をしているわけだけど、ブログ記事を書く楽しさや、ブログデザインを考える楽しさはブログを始めた当初と変わらない熱量がある。いや、それ以上かもしれない。

他の人が運営しているオシャレなブログデザインだったり、美しい文章を読むのはホントに楽しい。最近ではぼくがカメラを本気で始めたこともあって、写真多めのブログも好き。

なぜ、「文章と写真で作られた媒体」が好きなのか、今まではそんなことを考えたこともなかったけど、ふとした瞬間に自分の中で疑問が生まれたので、ブログ運営をしている身としてこの疑問を深堀してみたくなった。

というわけで、超個人的な思考をまとめてみようと思う。

動的なコンテンツと静的なコンテンツ

動的なコンテンツと静的なコンテンツ

動画コンテンツは、見たままの情報を自分の中に落とし込むコンテンツであると思っている。想像する余地がない感じかな。視覚で捉えた映像がすべて。

最近のぼくのテレビの使い方を考えてみると、朝食時や夕食時など、リビングにいるときにとりあえずテレビをつける。でも映像は何となく流し見で、さながらラジオのような感覚だ。

YouTubeとかでもそうなんだけど、動画コンテンツは基本的に受動的なコンテンツで、何となく時間を浪費しているイメージを持ってしまう。

一方で静的なコンテンツは、自分の頭に落とし込みながら楽しむコンテンツだと思っている。

  • 雑誌
  • 小説
  • 漫画
  • ブログ
  • 写真

ぼくの中では上記のようなコンテンツが静的なコンテンツ。

この中でも特に小説などは、なるべく静かな環境で、じっくりと小説の世界観に入り込みながら楽しみたい。

流し読みでも話の概要は掴めるけど、細かい描写まで読み取るのは難しくなってしまう。これは小説だけではなく、文章が主体になっているコンテンツを楽しむときはどれも同じ。

「行間を読む」みたいな小難しい話はよくわからないけど、読む人によってコンテンツの捉え方が変わってくるというのが文章を主体とした静的なコンテンツの良さだと思っている。

メッセージの本質を想像するのが好き

メッセージの本質を想像するのが好き

静的なコンテンツ。特に小説が最近はかなり好きで、ここ1年ぐらいは東野圭吾作品を読み漁っている。かれこれ20冊以上は読んできたかな。

なぜか読書家界隈では、東野圭吾は文学レベルが低いみたいな意見を見かけるけど、あれほどスッキリした文体でストーリーを展開していけるミステリー作家に対して失礼極まりないと思う。てか素人がプロの作家批判なんて、思い上がりも甚だしいので、ぜひともやめていただきたい。

つい不満をぶちまけてしまったが、東野圭吾作品の中には、ミステリーなのに推理を読者に委ねる作品などもある。

「私が彼を殺した」という作品などは、容疑者3人の目線で物語がそれぞれ進んでいくんだけど、最終的にはみんながみんな自分が犯人だと思っていて、作品の中では犯人を断定していない。この作品を読んだときは何度も読み返して、自分なりの推理を組み立てることが楽しかった。

作家が文章の中に散りばめた推理のヒントだったり、何を伝えたいのかというメッセージの本質的な部分の受け取り方は、読み手によって異なってくるだろう。でもそれが面白い。

小説から学べることはたくさんある

小説は読書ではなくエンタメという人もいるけど、ぼくはちがうと思っている。

たしかに、エンタメ的な要素があることは否定しないけど、小説の中からでも学べることはたくさんある。

ミステリーなんかでは、完璧な犯罪計画を思いついて実行する犯人がいたとしても、ごく僅かな矛盾点を探し出して犯人を暴くなんていう展開が王道だけど、こういったことからも、どんなに完璧だと思っても、必ず粗が出るから、完璧なんてものはこの世に存在しないということを学べる。

あとは読解力や思考力も身につく。小説がエンタメとは言え、動的コンテンツのエンタメ感とはちょっとちがう。

ハッとする美しさに惹き込まれる瞬間が好き

ハッとする美しさに惹き込まれる瞬間が好き

写真も静的コンテンツだと思っていて、何気ない日常を切り取ったスナップ写真や風景画がぼくは好き。

これっていう明確な被写体はなくても、自分以外の人がどんな思考や目線で世の中を見ているのかが写真からは伝わってくる。

ただ街中を写した写真だったり、人の流れを写した写真の中にも、人それぞれドラマがあって面白い。

わざわざカメラを出して写真に残すということは、その人の中で心動く何かがあったということだ。

それらの作品の中には、あまりの美しさにスッと惹き込まれる瞬間がある。

写真に写る景色だけではなく、その色味だったり雰囲気だったり、すべてが自分の好みドンピシャをついた写真だったときは感動すら覚える。

絵画の面白さはまだ理解できないんだけど、たぶん絵が好きな人もぼくが写真を好きなのと同じように、心動かされる何かがあるんだと思う。

まとめ

超個人的な思考ではあるが、文章と写真で構成された媒体が好きな理由について深堀してみた。

思えば昔から映画とかを集中して見れる方ではなかったし、話題の映画みたいなものに興味を持つことがほとんどなかった。嫌いなわけでもないけど。

動的なコンテンツは自分のタイミングとかテンポ感で見れないというのが一番引っかかるポイントなのかもしれないなと、今この記事を書いていて気づいた。

その点、文章が中心の静的なコンテンツの場合、自分の好きなテンポで作品と向き合うことができる。

これが動的コンテンツと静的コンテンツの最大のちがいかなと思う。

動的コンテンツ、特にYou TubeやTikTokなどが主流の世の中ではあるけども、静的なコンテンツのファンとして粛々とブログを書きつつ、自分以外の誰かが生み出す作品も楽しみたい。

消費的なコンテンツに浸かると思考力が落ちる話【YouTubeは沼】
こんにちは。 休日に貪るようにYouTube動画を見ていたら、いざブログを書こうと思ったときに言葉が出なくて焦りました。気づいたら1時間とかあっという間に過ぎて…
redwinglife.com