子育てはこうも悩むものなのか…。
この春から小学校2年生になった息子。
担任の先生には、以前からあまり評判のよくない先生が着任し、始業式の日から息子はすでに不安でいっぱい。
先生の悪評を簡単に書き出してみると下記。
- ネチネチ系
- 理不尽に大きな声で威圧する
ぼくが聞いていたのはこんな感じの先生。
新学年がスタートして1週間ほどで授業参観があり、そこで見た先生の様子は良くも悪くも「普通」なおじさん先生といったところ。
マスクをしてる影響もあるのか、やや声がくぐもっていて、教室の後ろの方で授業参観をしていたぼくには少し声が聞き取りにくく感じた。これは妻も同じように感じていたらしい。
ホントにこんな先生が理不尽に大きな声で子どもたちを威圧するのか?と少し怪訝に思っていたが、授業参観の翌週には先生のメッキが剥がれた。
一方的に息子からの話しか聞いてないけど、ちょっとそれは教師として子どもたちの教育に携わる人としてどうなんだろうと思うことがあるので、記録として残しておこうと思う。
教師の一言で1人の人生は変わる
大袈裟ではなく、教師が不意に発した一言で、子ども1人の人生は良くも悪くも大きく変わります。
教師にはそれぐらい大きな影響力があることを、教育に関わるすべての人が自覚するべきなんです。
「うまく伝えられないだけでしょ」
息子が担任の先生から言われたという一言の中でも、特に強烈な衝撃を受けたのはこれでした。
「うまく伝えられないだけでしょ」
どんなシチュエーションで言われたかを簡潔にまとめると下記。
- 授業中、息子が積極的に手を挙げて発言しようとする
- 先生から指名されて立ち上がるも、答えをど忘れしてしまう息子
- 「忘れてしまいました」と先生に伝える
- そこで放った一言が「うまく伝えられないだけでしょ」
息子から聞いた感じだと、上記のような流れの中で言われたということだった。
どんな理由であれ、教師という立場にある人がかける言葉ではないとぼくは思う。ぼくは妻からこの話を聞いて、勢いで学校に電話しそうになってしまうぐらい腹が立った。
クラスメイトがいる前で手を挙げて発言するということは、とてつもない勇気が必要だ。事実、ぼくは手を上げて発言することが苦手で、遠い過去の記憶になるけど、学校生活の中で積極的に発言したという記憶はほぼない。
先生は何気なく発した一言なのかもしれないけど、こんな一言で手を挙げることが怖くなり、自分の意見を言えなくなる子が出来上がってしまうことを想像できなかったのだろうか。
「先生が言ったことをすぐできなければ、先生は怒ります」
ちょっとこれは信じられない発言だと思う。
小学校2年生の子どもたちが集まってる中で、理解力にはそれぞれ個人差があることはちょっと考えればわかること。
仮に、先生がどんな人にでも一発で100%理解できる完璧な伝え方をできているなら、こういった発言もまあ多少は許せる。
でも、人間は誰でも間違えるし、完璧な人なんていない。伝えられたことの受け取り方も人それぞれちがうだろう。
そんな中で、「先生が言ったことをすぐできなければ、先生は怒ります」という発言は脅し以外の何でもない。
小学校2年生の集団を統制するのは、たしかに大変なことだと思う。
それを覚悟のうえで「教師」という仕事に従事しているのだから、子どもたちを怒る前に自分に矢印を向けて考えることはできないのだろうか。
こんなやり方では、ただ先生が怖いから言うことを聞くだけになってしまい、根本的な理解には繋がらないし、人としての成長なんてあり得ないだろう。
まとめ
ただの不満のような文章になってしまい申し訳ない。
とはいえ、こういったちょっと想像の斜め上をいく教師が実在していて、保護者としての立場から思うことを書き残しておきたいと思ったからブログに書いた。
新学年がスタートしてまだ1ヶ月も経たないうちに、息子は「学校で楽しいことが何もない」と言うようになってしまった。
1年生のときは素晴らしい成績を残し、学校での不満とかも特になく過ごしていただけに、先行きが不安だ。
息子の様子を注意深く見つつ、メンタルケアはしっかり行っていきたいと思う。