先日、下記のツイートが話題になっていました。
スクショの中身を引用させていただくと下記です。
入学祝いで祖母からもらって
高校入ってから使い続けている時計です
クラスの人間に時計のことを聞かれ説明したら
「似合ってない」だの「○○の方が高いの持ってる」だの言われまして
あげく祖母からもらったことを話したら
ばあちゃんからか~「そんなもん」やな
とまで言われました…
似合ってないのは自分でもわかっていますが、入学祝いでもらったものをそんなもの扱いされ悔しくて授業中にもかかわらず泣いてしまいました
結局金が全てなんですか…?
あげた人、もらった人の想いは二の次なんですか…?
恐らくこのツイートされた方は高校生だと思いますが、クラスメイトから急にこんなこと言われたらつらいですよね…。
かなりたくさんの人がこのツイートに対して反応していますが、ぼくも上記のツイートから感じたことをブログにまとめておきます。
モノの価値を値段でしか判断できない人は心が貧しい
このツイートを見て、ぼくが引用リツイートしたのが下記です。
物の価値を値段でしか判断できない人は悲しい。
この記事のタイトルとほぼ同じでした。これについてぼくなりの解釈はこちら。
- 値段は市場価値の1つでしかない
- モノにはそれぞれストーリーがある
- G-SHOCKはカッコいい
解説します。
値段は市場価値の1つでしかない
お店で売られてるモノには、ひとつひとつ値段がついてます。
例えば10万円のルイ・ヴィトンの財布があるとして、どうして10万円もの値段がついてるのか考えたことはありますか?
素材とかの観点で言えば、ルイ・ヴィトンの財布で10万円はぶっちゃけ高いと思います。それでも、ルイ・ヴィトンというブランドに10万円を払う価値があると思う人がいるから成り立っている商売なんです。
ルイ・ヴィトンの財布をバカにするわけではありませんが、こういうことなんですよ。
逆に、ヌメ側を贅沢に使った世界に1つのオーダー財布なら、ノーブランドでも10万円を払う価値は全然あると思ってます。
それはぼくがレザーが好きだからであって、恐らくルイ・ヴィトンみたいなブランドに価値を感じてる人にとっては「そんなものに10万円は高い」と思うかもしれませんね。
モノにはそれぞれストーリーがある
冒頭のツイートで言うところの「おばあちゃんからの入学祝い」が、このG-SHOCKに付随するストーリーです。
こういったエピソードって本人から聞かないとわからないじゃないですか。自分が好きで買ったものなのか、プレゼントでもらったものなのか、それとも形見なのか。
どんなものであれ、思い入れがあって大事にしてるモノをバカにされたら誰だっていい気はしないはず。
ツイート主のクラスメイトは何をもって「そんなもん」と言ったのか。自分のモノサシだけで人が大切にしてるモノを批判するのはよくないですね。
G-SHOCKはカッコいい
これはまあぼくの主観になりますが、G-SHOCKはカッコいいです。「そんなもん」と言われる意味がわかりません。

これはぼくが普段愛用してるG-SHOCKですが、3年ぐらい前に妻からプレゼントでもらいました。
3年経っても全然飽きないし、カッコいい。
無骨なデザインがかっこよくて、見た目通りの頑丈さ。それでいて値段もそれほど高くない。ちなみにぼくがつけてるのは1万円ぐらいです。
これ以上にクールな時計はないと思うんですけどね。高校生にこのカッコよさが伝わらないのが残念。
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他人と比較しても意味がない

高校生ぐらいだとわりとありがちだと思うんですけど、無駄に他人と比較してしまうんですよね。
他人の評価軸で生きてると不幸になる【断言します】という記事でも書いたんですけど、自分の主観、気持ちを優先しながら生きていかないといつまでも心は満たされません。
G-SHOCKの高校生にイチャモンつけた同級生がどんな高級時計を巻いてるかは知りませんが、恐らく他者と比較して優劣をつけることでしか満足できなくなってしまってますよね。
すごく可愛そうです。
おばあちゃんから入学祝いにもらったG-SHOCKを誇らしく大切に使ってるツイート主の方がよっぽど満ち足りた人生を過ごせるはずですよ。
終わりです。
他人の評価軸で生きてると不幸になる【断言します】
ついつい周りの評価を気にしてしまい、自分が本心から思ってることとは真逆の行動をしてしまうこと、ないですか?この記事では、ぼくが思う「他人の評価軸で生きてる人」と、どのようにして改善したのかについて解説しました。